2011/09/25

R.I.P.


 22日、昔大変お世話になったHKさんが亡くなられた。
その方は、1960年代のグループサウンズ全盛期にあるバンドでギタリストとして活躍され、その後も山形に拠点を移して音楽活動を続けてこられた。  
 
 1980年代、私は高校卒業後入ろうとしていた新宿舟町にある絵の学校(教室?)の春期入校の抽選(!)に漏れ、秋期募集の抽選まで浪人生活を送る事になった。
そんな浪人中、私はデザイン事務所でバイトしていたのだが、給料は月たった5万円(笑。時代的にそんな額だったとかではなく、単に勉強させてやるから5万でも有り難いと思え位の感じだった。当然5万は安すぎで、他に洋服屋でもバイトしたが、何しろデザイン事務所の拘束時間は長く、夜事務所で寝る事も有った。特に技術も無いのでやる事と言えば雑用がほとんどだったが、周りにいた面白い大人達
や特殊な人種のお陰で意外にも楽しく月5万円のバイトを続けられた。
 
 HKさんとはそんな時期に出合った。HKと言う名前とミュージシャンである事は知っていた。カーリーなロン毛で身長2メートル(嘘!でも当時はそう感じた)の怖そうな人だな、位の印象だった。
 
ある時、デザイン事務所にパーティーイベントの仕事が入った。テーマは「監獄ロック」的な物で、あるホテルの地下を会場に行われた。私は初めて、そのパーティーのポスター用にイラストを描かせてもらった。
 
鉄格子(?)で仕切られたステージに、ブルースブラザースのようないでたちのメンバーがピーターガンのテーマで登場する。メンバーがそれぞれのポジションにつき、いざ演奏が始まった!と思ったら、50年代のロックンロールやらR&Bの曲に合わせコミカルにかつ激しく演奏する「マネ」をする、その名もマネゴトバンドだった。そんなお茶目なオッサン達…失礼、お兄さん達の中心にHKさんはいた(HKさんとドラマー担当の方は本職だが、他は全て素人)。ミュージシャンなのに迫真に迫る「演奏するマネ」、「歌ってるマネ」を間近で見て感動すると共に爆笑した。(後にこのバンドはメンバーチェンジを繰り返しながらいくつかのパーティーイベントに出演し、私も2ステージ程ギターを担当した)。
   
 
 その後、デザイン事務所で市長選挙の対立候補者を応援するグループの仕事を請け負った。応援集会イベントのポスターやキャラクターデザイン、グッズ等の制作だ。
この仕事でも相変わらず雑用ばかりだったある日、一本の電話が雑用の私宛にかかって来た。
HKさんからだった。
「よう、お前今からそこ抜け出して、ウチに来られるか?ただ、みんなにはウチに来る事は絶対内緒な」
大した仕事も無い私は、適当な理由で事務所脱出に成功し、事務所から原チャリで3〜4分のHKさん宅へ向かった。
それまで周りにはいなかったタイプの大人、HKさんが、わざわざデザイン事務所の使い走りを呼んで何を言い出すのか少し怖かった。到着早々HKさんの口から出た思いもかけない言葉に私は拍子抜けしてしまった。

「よう、お前、タヌキ描けるか?」
はい?!え?タヌキってたぬきですか?あの狸?
今思うと、HKさんは監獄ロックパーティーで私が担当したポスターのイラストを見て、気に入ってくれたかどうかは知らないが、「あ、あいつタヌキ描けるかも、ムフフ」と思ってくれたのだろうか。   
HKさんは当時の現職市長を応援するグループのイベントの企画にも参加されていたようで、そのイベントポスター用にタヌキ(=現職市長)のキャラクターが必要だった。私の給料は月5万、当然臨時の収入は嬉しい、しかしウチの事務所は対立候補を担当している、ううむ。
「はい、描かせて頂きますタヌキ」二つ返事でそのバイトを引き受けた。

私の描いたタヌキのおかげな訳は全くないが、タヌキ似の現職市長は見事再選を果たした。(この内職の事は、その事務所で一緒に働いていた方々にはその後も打ち明けていない)
   

 絵の学校の秋期入学の抽選にまたもや漏れた私は、デザイン事務所のバイトをやめ、HKさんが経営するライブハウスでバイトする事になった。ウェイター兼照明係。
バックルームでHKさんからギターを習った(結局弾けるようにはならなかったが)。よく給料前借りした(何せ月5万円以上になる普通の時給をくれたからだ)。 インスタントラーメンを美味しく作るコツなんていうのも習った(笑)。原チャリ通勤の私のヘルメットをなぜか「早く俺にくれよ」とせがんだ(ヘルメットに長い髪の毛を付けて原チャリに乗って警察に止めらたかったらしい)。そんな思い出ばかりで正直どうなの?と思ったが、他の人では有り得ない思い出だ、さすがHKさん。

次の春期入学抽選で見事アタリくじを引くまでの短い間だったが、HKさんには本当にお世話になった。


 ここ十数年は機会がなくお会いしていなかったが、先日、ライブハウス時代にベースを担当されていたKサマと偶然お会いした際、HKさんが体調を崩されて入退院を繰り返されていた事を知った。そして昨日、新聞で訃報を知った。
 
 
 HKさん何してるかな、元気かな…と、お会いしていなかった十数年の間に、何回も何十回も何百回も思っていたのに会いにいかなかった事を本当に後悔している。十数年ぶりの再会が明日の葬儀になってしまった。


HKさん、お疲れ様でした

安らかにお眠りください

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